占い師はどんな存在?世界の歴史を紐解いてみた

当たるも八卦、当たらぬも八卦と言われる占い。そして占い師と言えば、ミステリアスな雰囲気で、水晶玉といった道具を持ち、ベールやローブに身を包まれた姿…そんなイメージがつきものです。物語で言えば、街角で小さな机に座った謎めいた老婆が、主人公を導く存在であったりします。では、実際の占い師と言えばどんな存在だったのでしょうか。歴史的にその経歴について説明したいと思います。

 

●卑弥呼も占い師だった?中国古代から伝わる占いとは
卑弥呼の名前を知らない人は少ないと思いますが、彼女が鬼道(きどう)と呼ばれる占い師で、統治を行っていたことは意外と知られていないかもしれません。この鬼道は、魏志倭人伝に記述されているばかりで、どのようなものかは諸説あり、現在でも具体的な内容は分かっていません。ただ、卑弥呼は亀の甲羅や鹿といった動物の骨を用いて、占いをしていたと考えられています。この動物の甲羅や骨を用いた占い方は、古代中国、殷(いん)の時代に発達しました。紀元前1700~前1100年頃のことで、亀の甲羅を焼き、発生したひび割れの形で吉凶を判断するものでした。占いそのものや、占いをすることを、「卜(ぼく)」や「卜占(ぼくせん)」という言葉で表現することがありますが、この「卜」という字は象形文字で、骨がひび割れた形を表しているのです。ちなみに「卜」を訓読みすると「うらない」です。では、このような方法で何を占うかと言うと、単純な吉凶であったり、その年の気象や豊作などを判断したり、様々です。国の政治にも用いられていた理由は、こういった呪術的な行事を執り行うことで、より人心を掌握したり、権威を高めたりする目的だったと推測されています。

 

●西洋でも発展した占星術。現代日本でも…
では西洋で占い師はどうであったかと言うと、紀元前1800年頃に誕生したバビロニアを起源とする、西洋占星術が有名です。その当時は、信仰されていた神々と天上の星とを結び付け、そこから未来を占ったと考えられています。その後、ヘレニズム時代に、占星術は医学などにも適用され、例えば占星医学と呼ばれるものが生み出されるなど、単なる占いの域を飛び越えて、現代で言うべき科学の分野にまで影響を及ぼしています。政治的な側面では、ローマ帝国の歴代皇帝が、占星術師を重用していた例も多く、占星術が示した暗殺という結末に怯え、最終的には占い通りに暗殺されてしまったドミティアヌスなどがいます。ただ、キリスト教の伝播によって、このような占いは迷信であるという考えが広まり、廃れてしまっています。ところがその後、中世ヨーロッパの時代になると、今度はアラブの占星術の技法が受け入れられ、政治や軍事の決断のために占い師を必要とすることもありました。その後は、時に禁止されることもあり、流行り廃れを繰り返すようになりますが、比較的近代においても、占い師の需要はありました。ちなみに、現代日本で日常的に見かける星占いは、西洋占星術のサン・サイン(12星座)を簡略・通俗化したものです。

 

●古今東西、占い師が重用された理由とは
占い師が古今東西、色々な場所で存在していた理由はなんでしょうか。現代においても、科学的根拠が認められてはいませんし、また、統計学と呼べるほど、学術的に明確なデータも持っているとは言えません。しかし、古代や中世においての科学や、学問の発展に、寄与していたことは事実ですし、占い師が政治の世界に存在したことは、恐らく間違いないでしょう。例えば、ヨーロッパでは魔女と呼ばれる女性(まれに男性)が存在し、大々的に迫害された過去があります。その大元となった人々は、呪術と呼ばれる力を有していたと言われていますが、具体的にどのようなことをしたのか、今も判明していません。一説には、当時は資格のある男性しか認められなかった、薬学や医学の知識を持つ非公認の女性が、そのように呼ばれたとも言われています。彼女たちは、古くから伝わる民間療法の技術を有していたため、それが呪術と結びついたというのです。このように、現代のように科学的証明が存在しなかった時代、人々を導いたり助けたりする能力を持つ人は、おしなべて呪術が使えると考えられていたと考えられます。同じように、占い師も様々な技術を用いて、未来や進むべき道を指し示すことができたので、その存在は尊く、また神に近い存在として、権威者から愛されたと考えることができます。